システムエンジニアの振り返り
今年4月よりSIerの会社に入社して、システムエンジニアとして某保険会社の保守開発の現場に配属され早5ヶ月半になります。
2ヶ月間の外部研修、基本情報技術者の資格を取得、実際の業務でやったことを振り返ります。
研修と業務内で扱った言語やツールたち
(正確な書き方がよく分からない...)
他にも開発環境やテストツールとか沢山ある。
見習いの段階で下流工程中心に色んなことを教わりながら、業務をさせていただいています。
2ヶ月の研修
他のプログラミング言語はよくわからないのですが、Javaはインスタンス化といってとにかく箱を作りまくり、箱となるメソッドを読んで、値を入れて転がしていきます。その考え方に慣れるまで2ヶ月の研修は鬼難しかった....
Javaの基礎から始まり、GUIの一つSpringBootsを使ってHTMLで画面作成・DBにデータ登録,取得、SQLの基本など、1.5ヶ月で詰め込みました。分からなさすぎて土日も勉強してました。
配属
配属され、蓋を開ければクラスありすぎ&一つのクラスのソース長すぎで、少しずつ自分が使える知識を引き出し調べて、教わりながら仕事をしています。
基本情報技術者資格
国家資格とされる資格の一つで、システムエンジニアの登竜門と言われているみたいです。
大きく分けて三つの系統に分類されていて、以下の分野を勉強しました。
テクノロジ系
・セキュリティ
・データベース
・ソフトウェア
・Java
マネジメント系
・プロジェクトマネジメント
ストラテジ系
・システム戦略
どれも量多すぎだよ笑って思いながら勉強でした笑。アルゴリズムは業務内でも特に使う考え方なので、勉強した甲斐はありました。
今後
マークアップ言語であるHTML,CSSとプログラミング言語PHPは将来的に使っていきたいので、個人的にこの3つを中心に勉強を進めていきます。オンラインマーケットプレイスであるUdemyと、Wordpressを活用していく予定です。
現場からは以上です。
168時間なにしてる?
一週間は、24hours×7=168hours。
みんな平等に存在している時間。
この168時間の中で仕事や家事、睡眠などを生きていく上で必須の活動が何時間を占めるのか、実際に計算をしたことありますか?
先日、計算をしてみた
社会人一年目・在宅ワーク・一人暮らしという条件の23歳女性Yuさんの例
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仕事
8hours/day × 5days = 40hours
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家事
1hour/day × 7days = 7hours
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運動
50mins/day × 5days = 4.17hours(250mins)
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睡眠
7.5hours/day × 7days = 52.5hours
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食事
20mins×3=60mins/day × 7days = 7hours
残りは168hours - 110.67hours = 57.33hours
57.33時間が自分にあるフリータイム....短いと感じたでしょうか?
そしてiphoneのスクリーン時間を見ると、
4hours/day × 7days = 28hours。
Netflix見ながらや、音楽を聴きながら料理したりご飯食べてるので、残り57hoursから完ぺきに-してしまうのは計算上違ってきそうだから今回はしないけど、「スマホいじっている時間」を取られていることはちゃんと自覚したい...笑
自分は何のためにスマホを見ているのか?
思い返せば、Netflixと音楽のほかはソーシャルメディアに大半を注いじゃっている…
集中力が切れた時に見たり、特に目的を待たずに画面をスクロールしているな...
そんな自分を変えるヒントになりそうな動画発見したのでシェア。
コンピュータサイエンティスト(コンピュータサイエンスとは何かはこちら)であるCal Newport氏がソーシャルメディアを辞めようと語ってくれています。これ見て、完全にソーシャルメディアから断ち切ることはできないけど、情報を操る研究をしているコンピューターサイエンティストの言葉を持って言われるとなかなか説得力ある、、
ソーシャルメディアでいいねやシェアをすることで自分の嗜好データを企業に提供する事になり、マーケティングに使われてしまっているのは百も承知だけど、ソーシャルメディアは人が依存するように設計されていて、離れるにも離れがたいモノ。
(上記のことは、この動画にわかりやすくまとまっています↓興味のある方はぜひ。)
これを機にソーシャルメディアとの付き合い方見直してみます。
自分の脳内の世界へ
読み始める前に
これは前世を綴った記事になります。自分自身「前世を見た」と言っていますが、すべて脳内で起こっている事であり、それがスピリチュアルなのか、脳内の科学的なメカニズムなのかよく分かりません。でも、少なからず、感情のメカニズム等まだ科学では証明できていない事は存在します。私たちは人間でありながら、私たち自身を知る事が難しいみたいです。
ども”Granding”をしながら書いています。
(Grandingとは、前世を見た後に現世へちゃんと戻るために甘いものなどの重めの食事をすることみたいです。)
実は先日、前世療法をしてもらいました。療法といっても、私は自分の前世なんだったんだろ〜って言う好奇心で受けました😌
「一人暮らしの気持ち」や「家族」とは、「インドネシアとの縁」について、過去の自分との関連性を知りたいと思っていた矢先に、ヨガの先生のお父様が前世療法のモニタリングを募集なさっているということでやっていただきました。
初体験でしたが、普段使わない脳みそを使われている感覚と、そのワンシーンからまた次のシーンに行くときもあれば、一つの動画として流れるように見えてくるその繰り返しでした。
自分の潜在意識が見せてくれた二つの前世は今の自分に訴えかけてきて、且つすごい励ましてくれて、療法中は泣いたり笑顔になったり大変でした(笑)
インドネシアとの繋がり
満点の星空から始まったそのシーン。
気づけば軍服姿25歳くらいの男性が、森の中の少し開けた場所で焚火をして胡坐をかいて座っている。焚火を見ている彼の姿はとても寂しそうで下を向いている。(この時点で、彼の寂しいという感情が入ってきて泣いていた。でも何に対して寂しいのかは分からない。)次のシーンは、土でできた家で竈がある台所で一人で料理をしている。どことない寂しさ。一人暮らしみたい。彼にとっては異国のよう。
次は地元の住民とおしゃべり、少し笑顔がある。地元の人はインドネシア人だった。ここがインドネシアだとわかった。
そして銃撃戦。ジャングルの中で銃を構えていた。
その次が海の景色。
浜辺から海を見てその先にある日本に帰りたいな。奥さんとまだ小さな子どもに会いたい。(この時点で中部ジャワ島の北部だと感じた。まさに休学していってたところあたり)彼の寂しさは愛する奥さんと子どもに会えない悲しみだった。
次は彼の日本での過去の記憶へ。
奥さん(まちこさん)と彼(てつおさん)は学生時代から大の仲良しでいつも一緒におしゃべりをして通学していた。高身長な美男美女カップルそんな感じがした。そして、奥さんに子どもを身ごもったころに届いた赤紙。赤ん坊は本当に愛くるしくてかわいかった。戦争に行きたくないな。インドネシアにいるてつおさんの日本に帰れない寂しさが心にダイレクトに伝わってきた。
さいごはてつおさんとはハグをしてありがとうを伝えた。
ヨーロッパの修道士
そして次の前世が白を基調として、窓が赤い淵の教会。窓から中に入って(正確には窓を風みたいに通り抜けた感じ)、いたのは40代くらいの修道士。マリア様に向かってお祈りをしていた。
次は家。ウッドな家で、息子と夫がいる。娘がベッドで咳をしている。結核、喘息もちのようで背中をさする先ほどの修道士。でもその娘は亡くなってしまって、娘の死を乗り越えながら、夫と息子を立派に育てたみたい。
食卓に並ぶおいしいご飯を囲んで食べるご飯にすごい幸せを感じていた。
彼女の最期は穏やかでおそらく老衰。笑顔で満足気な顔で亡くなっていた。マリア様がちかくにいた。
さいごは、マリア様がそばにいてその修道士の方とハグをしてありがとうを伝えた。
「大丈夫だよ」って言われた。
自分の守護霊様と会ってみたい?
実は、前世の自分と会った後に、お父様から守護霊様と会いたい?と聞かれ、終始驚いたけど答えは「YES」。そして守護霊と会うことになって、自分のひいばあちゃんみたいなおばあちゃんが出てきた。
質問してもいいよってお父様から言われたので、質問をした。その後、守護霊からプレゼントをくれるということで、頂いたのが蛍光灯みたいな白っぽい感じで真ん中の方が薄いピンクのボール。初めは何か教えてくれなかったんだけど、「優しさ」っていう言葉がふってきた。「自分が使いたいと思ったときに使いなさい」って言われた。
さいごははぐしてありがとうを伝えた。「今やっていることをきちんとこなせば大丈夫だよっ」て言われた。
ありがとう。
そんな感じで前世療法は終わって、初めは自分全然見えないだろうなと思ったんだけど想像以上にシーンが次々と入ってきてびっくりした。あと思いがけない優しいメッセージに励まされて、自分は前に進んでいきたいです。
Love yourselfで地球とハッピーに生きよう
自分が自分っぽい瞬間って味わえていますか?
I'm love in. Time fry. みたいな感覚。
私の自分っぽい瞬間は言語を使っている時。
朝のインドネシア語の勉強、仕事中にプログラミング言語のソースを解読している時。英語で親友とディスカッション練習。日本語でこのブログを書いている時。
母語である日本語を除いて全くのプロフェッショナルではないけど、自分はそれを使っている時が一番楽しい。なぞなぞみたい。
しかもやればやるほど深みにはまる。まるで依存症みたいだ笑
そんな自分っぽい瞬間を重ねるほど、自分ってもんが形成されていく。
そして今はそんな積み重ねで出来上がった自分が好きだ。
自己愛っていうとなんか恥ずかしい?くすぐったい感覚するんだけど、自分のこと愛せなくて、家族や友人、生き物、自然を愛すのって難しいと感じる。
ちょうど一年前くらいに産業型の畜産がもたらす環境への多大な負荷に関する事実を知って、乳製品を含む動物性の食品を全く摂らなくなった時期があった。
生まれてきてから20数年続けてきた食生活をガラリと一変させることになって、体はその変化に追いつけなった。今まで自分の体を保ってきたバランスが崩れた感覚がしたのに、「環境を守りたい」という一心だったから、自分がボロボロになってもいいや、自分をないがしろにしてしまった。それでストレスを抱えることになって、月経不順で頻発月経と診断され、2週間に1回のペースで血が体外へ。
「環境問題を知り、考え、行動する。」という選択は時として心身に支障をきたす事があることを物語る経験だった。
今まで知らずに生きてきたけど実は環境にめちゃくちゃ負荷がかかっていたのかという、パンドラの箱を開けちゃった気分になって、気分が落ちる。ショック。
そうして考えると、自分が痩せ我慢すればいいアクションに向かってしまう。
でもそこには矛盾が生じる。本来ならば自然を守れてハッピーな気持ちなのに、やせ我慢をした自分は苦しくなるだけ。自分にとっては悪循環。
自分も人間という生き物。
意思のある生き物。
川に転がってる石ころみたいに、何も感じないのであれば、自己愛は必要ないと思う。
でも少なからず人間は日々の瞬間に何かを感じてしまう生き物なのだ。
何かを感じることがわかった上で、マイナスを感じるよりもプラスを感じれる方が生きていて心地が良いと思うのは自分だけなのだろうか。
まずは自分という土台を、自分らしさを感じられる瞬間の積み重ねで作って、自己愛を形成し、問題に対して打ちのめされない自分になる。
そしたら、楽しみにながら環境へのアクションに繋げられる。そのアクションが積み重なれば、自分もまた自然と共に生きる道を形成してる事実でもって満たされるわけ。まさに好循環。
自己愛が、環境問題を知り、考え、行動する事には必要であると、肉食を絶った経験から学んだ。
満月の夜は自分を振り返る
引っ越し
「インドネシアに行けない腹いせに引っ越した。」というのは半分冗談で半分正気。先日、約10ヶ月間のシェアハウスでの修行を終えて、一人暮らしを始めた。
シェアハウスといっても、まずコミュニケーションが取れるようなリビング設計になっていないし、コンセプトもプライベートを重視するような場所だったので、世間一般的に想像されるような、毎日住民とワイワイするようなシーンは全くなかった。
そんなシェアハウスをあえて選んだわけだけど、正直ほんっとにいろんなこと学べた(苦笑)
今の時代は、モノの所有にこだわる時代に終止符を打ってシェアエコノミーとかギフトエコノミーにシフトしていっている狭間にいると思うんだけど、「シェア」って誰とでもできるものではない気がする。人と人がコミュニケーション取って信頼し合える環境が無いと家における「シェア」はとんでもなくストレス。
でも、私は月々990円で家具を一つサブスクしていたり、メルカリ利用者、古着も着るのだけど、相手の顔がそこまで見えないシェアの方が気分的に楽だったりするのだなーと、バーチャル上のやり取りで終わる「シェア」は推したい。
新天地は「窓から海が見える」場所
私の職場は今のところリモートワークで、学生時代から憧れてきた「場所に囚われずに働く」ことが実現できているので、本社からは距離があるけど都心へのアクセスもまあまあ悪くない&自然を感じられる土地に引っ越しをした。
土日祝日の観光客がえぐいけど、毎日トビの鳴き声が聞こえたり、ちょっと散歩に行けば目の前には海が広がっていて、この上なく満足できる環境をゲットできたのだなと感じてる。
そして学生時代とは違うリアルな毎日の楽しさを噛みしめながら、毎日コツコツと積み重ねている感じ。
今日は魚座の満月と中秋の名月みたいなので軽ーく書き留めておきました。
(補足:新月は新たなスタートに、満月は振りをするのがいいとアーユルヴェーダ的には考えられているそうです。)
また書きます。
旅を愉しむ
2021年東京オリンピック開催真っ只中、京都にいた。3年ぶりの国内一人旅、4度目の京都へ。
学生時代に1人でなんでも決める感覚に慣れていなくて一人旅に新鮮味を感じていたものの、飽きやすい性分、次第に薄れて一人旅を全くしなくなって早3年。
久しぶりの一人旅は、シェアハウスで暮らし始めてだいぶ経ち、日常生活の中で何でも決めるのは当たり前な分、自分が楽しいと思う決定をうまくできるようになったんだなと実感した。
うまい決定① | 自分の嗜好に合うものを食べる
新鮮な魚と野菜たち、歴史詰まった和菓子を堪能してほーんとにほっぺがおちる感じ。
r.gnavi.co.jpここのお店はもともとドレッシングのお店で、京野菜との相性バッチしのドレッシングももちろん、野菜そのものが本当においしくて感動しながら食べた。
うまい決定② | 自分の価値観に合う宿に泊まる
旅館やホテルは家族や友達と一緒の時は大歓迎だけど、やっぱり1人の時は国内外問わずゲストハウスに尽きる。今回のお宿は、築80年の家屋をリノベしたハウスで、オーナーの方1人で切り盛りされている愛情こもったゲストハウス。
今回はコロナの影響で祇園祭がある連休中とはいえ、宿泊者は私含め2人。コミュニケーションはそこまで取らなかったけど、同じように1人ふらり旅をしている女性でした。そんな人との出会いがあるのが堪らんよ。
あと偶然祇園祭があって、普段祭に関心無いんだけどオーナーに誘われて"あとまつり"というの一部だけ見れた〜。もともと観光客は7月中旬の"さきまつり"という方が人気らしく、"あとまつり"の時は観光客が少なめらしく、ローカルっぽいこと満喫しちゃった。
うまい決定③ | 無駄なお金を使わず自分がここだと思った時に存分に使う
普段家賃・食費・交際費とか自分のリミットある収入をやりくりしてるから、ここで使わずしていつ使う!的なセンサーが反応して、お土産やら食事やら駄作なしにいい感じに使えました。
京都の町に残る古き良き古民家や歴史的建造物の感じはやっぱり東京じゃ感じられなくて勝るものない雰囲気あって今度5回目は誰かとまた来るんだろうなーそんな気がしてます。
私の夏休み前半はここで終わり、夏休み後半は8月初旬から中旬あたりでやって参ります。まだ仕込み中ですが大方なにしようかは決まってきているところ。乞うご期待:)
Yuuu
半年教習所通って遭遇したドラマたち
仮免の教習所内の効果測定に4回落ちた。
おばちゃん教官の涙の講義。
同おばちゃん教官の一言「あなた、初めて乗車担当した時ほんと教習所来ないと思ったのよ。」
路上教習中、交差点でもたつきおじちゃん教官に怒鳴られる。
もう教習所通わなくていいのかと思うくらい教習所に週末行くことが習慣化していた。
今日、やっと免許発行してもらえた。世間一般的には超当たり前のことだけど、この半年間も教習所に通っていると数々のドラマに遭遇した。
「仮免前、教習所内の効果測定に4回落ちた。」
4回目落ちた時は半泣き状態。なめて受けるとこんな始末になる。
「おばちゃん教官の涙の講義。」
仮免取って第二段階のある学科教習で、「今日は教本閉じていいから、私の話を聞いて」とおばちゃん教官のお友達の話をし始めた。その日のテーマは「人間の能力と運転」。
彼女の友達は足に不自由があるらしく車椅子生活をしている。そんな彼女も自分一人でどこにでも行きたいと車の運転を始めたが、辞めてしまった。理由は足にハンディキャップを抱えている事が運転にも支障をきたしてしまう出来事があった。(話は省略)
そんな友人の話を聞いたおばちゃん教官は誰もが平等に運転ができる車社会は来ないのかと涙ぐんでいた。
「同おばちゃん教官の一言『あなた、初めて乗車担当した時もう教習所来ないと思ったのよ。』」
先のおばちゃん再来で、このおばちゃんが私の初乗車の担当だった。初めてで緊張で肩に力入りすぎ、ハンドル操作とタイヤの動きも理解してない、時速10㎞でも怖すぎ。
なんとか仮免取って、 おばちゃん教官との教習が第二段階の後半でまたあった。その時に言われた一言が先に書いた内容。
言われた時はどんだけドライブセンスないと思われたんだって思ったけど、今めちゃくちゃ上達したってことだから自分成長しているってポジティブに捉えました。
「路上教習中、交差点でもたつきおじちゃん教官に怒鳴られる。」
下町のおじちゃんが多く集まる教習所に通ってまして、生粋の江戸っ子のおじちゃんにはほんとに苦労しました笑
路上教習始まって間もない頃、比較的若めの教官はしくじっても優しく対応してくれていたんですが、おじちゃんは容赦なく怒鳴ってきました。それなりに私だって頑張って運転しているから怒鳴らないでよ。でも他の車の進行を妨げないとか、交通事故の原因を作らないとか、安全の観点からしたらごもっともな対応されただけかもしれないね。
そんなドラマがありまして、今日免許が取れました。土日にふらっと関東近辺を運転できるようにペーパードライバーにならないようにしよう。
Yuuu