時間的な余裕を感じるのはどんな時?
※今回は自分の思想で書いた。
いつもは参照する材料があるけど、なんか上手に見つけられなかった。
「時間はゴムのように伸びる」という概念がインドネシアにはあって、Jam Kalet(ジャム・カレット)と言います。南国のならではのゆーたりした時間感覚は、時間厳守である日本文化には馴染が薄いかも。
でも日本にいながらも最近、このジャム・カレットな時間感覚の中で過ごしています。
「一秒、一分、一時間の感覚が伸びているな」と感じるんです。
その理由は、無駄に過ごしたと思う時間が激減したから。
これまでは、「時間がゴムのように伸びる」っていうのはビーチでぼーっとしているとかいつでも旅行に行けるとか、物理的な時間的余裕を持っている事という意味合いだと思ってきたけど、その物理的な時間的余裕というよりも感覚的に時間を無駄にしないで過ごすという意味が本来のジャム・カレットだと意味を自分で定義し直した。
前は、TikTokやYoutubeを永遠に見続けていて、「あ~またこんなに見ちゃった」って思う事が多々ありました。でも思い切って取捨選択して、TikTokはアンインストール。
TikTokに費やしていた時間が生まれて、その時間は読書やヨガの時間に充てるように。
(ぼーっとスクロールしているよりも、頭を動かして物事を考えたり体を動かした方が脳みそは喜んでいるみたいです笑)
TikTok中毒だった自分は「疲れたからいいや」って自分に納得させて、ぼーっとTikTok見ていたけど、でも本当は他のことに時間を使いたかったはずだから、TikTok見たことに満足感よりも不満感を抱いてしまっていた。無意識に言い訳を考えて、自分から逃げてしまっていたのだな、
つまり、TikTok視聴時間という物理的な時間的余裕があっても、心は腑に落ちてない。
それは本来のジャム・カレットとは言い難い気がする。なぜなら、南国インドネシアの人たちからはどことなく心に余裕を感じた。腑に落ちた時間の使い方をしているからか、不満気に生きている人はあまり見かけなかった。
となると、自分も今は本来のジャム・カレットに近い状態で生きている。自分がやるべき事につべこべ文句や言い訳を考えずに実行することを意識してみて、お決まりのルーティン(ルーティンも時間帯や順番とかいろいろ組み合わせを変えると面白い)をこなす。そのルーティンをしている時はいつも「自分にはこれが必要だ」と思いながら実行。毎日こなして自分をメンテしている感じ。
その必要性を感じるようになったのはついこの前で、結果にはそこまでこだわらず、ただひたすらに実行を繰り返すことで、すこーしずつ現実的にゴールに近付いてる感覚をもって、今日もルーティンをこなしています。