インド旅行記「経験したことのない世界に衝撃」
- 死ぬまでに行きたかった国
- インド社会へのカルチャーショック
- 初日はコロナの差別を受ける
- インド人友人に2年ぶりに再会
- 世界遺産Taj Mahalの隠された切ないラブストーリー
- 人生初のスラム訪問
- まとめ
死ぬまでに行きたかった国
幼き頃にマザーテレサに憧れていた。途方に暮れた人々を助けていたマザーテレサの生き様に憧れていたからだ。彼女が設立したマザーテレサ孤児院があるのがまさにインドで、彼女の出身はマケドニアだが、生涯をインドで過ごした経緯を持っている。
そんなわけで、「死ぬまでにインドに行ってやる!」という強い意志を家族に伝えると、「インドはレイプ大国と聞くから絶対に行ってはダメ」と言われた。
私も実際インドはレイプ犯罪が多いと聞いたことがあったから慄きつつ、「今までの海外渡航で最新の注意を払って行動する」と告げて強行渡航をした。
インド社会へのカルチャーショック
インド英語
インド入国にはアライバルビザかE-Visaの取得が必須であり、私は今回アライバルビザを取ることにした。到着後、ビザ手続きをするとさっそくインド人のインド英語に遭遇。抑揚の感じられない棒読みの英語はインド英語の独特さを感じた。久しぶりに聞いたインド英語に新鮮さを感じながらアライバルビザ取得をした。
(余談・この3日後くらいにコロナの影響でアライバルビザの発行を停止したのでギリギリ滑り込みセーフの入国となった、)
また、滞在していく内にインド人は日本人の優しい口調で話すと舐められがちだと感じて、インド英語を真似て抑揚の少ない早口言葉のように話すようにしてみた。そうしたら対等に会話できているように感じた。
YESは首を横に傾ける
インド人はYESと言う時首を縦に振るのではなく横に傾ける派らしく、私も物真似インド英語と共に首を横に傾けるYESを実践した。
意外とYESで首を横に傾けるの悪くない。首を傾けることに面白みを感じながらYESを言っていた笑
意外と進んでいるエコ社会?
デリー市内では、お買い物の袋は基本紙製の袋だったり、紙ストローが当たり前。日本よりも脱プラ化の取り組みを感じられた。
初日はコロナの差別を受ける
インド初日は夜に到着し友人と合流をして、事前に予約してあったホテルに到着したのは深夜1時過ぎだった。
ホテルに着くとすでにホテルは閉まっている。そんなはずは無いとドアを叩いて中に入れてもらい、よしチェックイン!と思ったら、どうやらホテルには私たちのオンライン予約がきちんとできていなかったらしい、、
ホテル受付の人には
「You cannot saty here tonight because we don't have your booking. 」
その上、
「We cannot make you stay this hotel. Now it's unable for Japanese and Chinese to stay here because of coronavirus.」
と言われてしまった。
まてまて、私たち空港で健康状態に問題ないことが証明されてるから入国できているのに、日本人=コロナウイルスという理由で宿泊お断りされては大変困る。
ここで私はコロナウイルス扱いされたことはグッとこらえて、なんとか一晩泊まれるようにすごい困ってる感を出して(本当に困っているが)懇願した。その晩は泊まることができた。本来はそのホテルに三泊する予定だったが、その晩は一晩だけ泊まって、日本人宿へ避難した。
インド人友人に2年ぶりに再会
2年前に日本語の勉強で日本に滞在していたソラと再会をした。
ソラから色々インドのことを教えてもらった。こうやってまた再会しその国のことを教えてもらったり昔話をして時間はあっという間に過ぎていった。
世界遺産Taj Mahalの隠された切ないラブストーリー
インドに来たらTaj Mahalに行かずにしてインドに行ったとは言えないかもしれない。行った時は「世界遺産だし、インドに行っている友人は誰もが訪れているから行っておくか。」程度だった。
到着早々観光ガイドの勧誘を受け、政府に雇われている観光ガイドということで、ガイドをつけてみることにした。これが大当たりで、Taj Mahalの隠された切ないラブストーリーを知ることになる。
22年間の歳月をかけて建てられたTaj Mahal。その建設者であるShah Jahan 皇帝は、3番目の亡き妻Mumtaz Mahalに捧げる墓の建設にあたった。それがTaj Mahalだった。1・2番目の妻との間には次の皇帝になる息子が生まれず、3番目の妻Mumtazにはなんと14人の子供に恵まれたという。Shah皇帝はこのことを非常に称え、Mumtazを大変愛した。
白を基調としたTaj Mahal建設後、Shah皇帝は自身の墓となる、黒を基調とした建物の建設をスタート。しかし皇帝を息子に譲った後に、莫大な建設費用に次皇帝は建設の中止を宣告。加えてShah元皇帝はアグラフォードに亡くなるまでの8年間軟禁されることとなった。最期は、アグラフォードから亡き妻のために建設したTaj Mahalを見ながら静かに息を引き取ったのだった。
Taj Mahal を巡りながら聞いたこの話は、亡き妻を想うShah皇帝の愛を感じずにはいられなかった。しかしながら、なんとも切ない最期を迎えてしまったShah皇帝には慈悲の念でいっぱいになった。
旅をする上で、ただ訪れるだけでなく歴史を理解しながら考えることは、そこに来た価値をさらに引き出してくれる。Taj Mahalに来た際は観光ガイドをつけることをお勧めしたい。
人生初のスラム訪問
当初予定していたスケジュールが変わり、半日空いたので、一緒に旅をしていた友人にスラムツアーに参加しようと誘われ実現したスラム訪問。これまでボランティア活動をしてきた身であるが、スラムは今回初めて足を踏み入れた。
以下ガイドの人から聞いた話である。
大きな幹線道路の下に広がったスラムDayaBasti は一つの町として活気付いていた。インド政府から供給された土地からなるスラムでは、家族経営の個人ビジネスとしてステンレス製のボウルの製造や鶏の販売などが仕事として存在していた。
スラムの中でも学校に行けている子もいれば、学校に行けていない子もいるという。犯罪もスラムの中ではかなり頻発しており、一見なにごともない町に見えてもスラムでない地域に比べると危険度は高いという。
その一方で、NGOが図書館をスラム内に作って子供の教育の場を作ったり、私が参加したようなツアー費用の一部が寄付に充てられるという。
また、スラムの中には市場があり、魚や肉、香辛料、野菜を販売されていたのだが、そこには生々しい光景が目の前に広がっていた。テーブルの真下には生きた鶏がケージの中にいる一方でテーブルの上にはカットされた鶏が乗っかっていた。また羊の頭部だけが店頭においてあり、生と死のパラレルワールドにいる感覚に陥った。
インド政府はこの状況をどう見ているのか?疑問をガイドに投げかけたものの、インド政府は特に対策を打っているわけでもないらしい、、
まとめ
正直、インド到着早々に差別に遭って早くこの国から出たいと思ったのは初めてだった。本場のカレーを食べることだけがモチベで何とか乗り切った感はある。でも、寝台列車に22時間乗っていたり、スラムへの訪問、本場のインドカレーを堪能したり、Taj Mahalへ行けたことは人生で初めてのことだらけだったから、インドへ行けて本当に良かった。
デリー市内は人々の往来が激しい一方で道端にいる犬は優雅に呑気に眠っていたり、ニューデリー駅前で電車チケット購入の詐欺に引っ掛かりそうになったり、道を歩けばタクシーや三輪自転車の運転手に乗れ乗れと執拗に迫られるし、混沌の極みのインドだった。ただもう一度行きたいかと聞かれたら、今のところNOと言いたい、
TOMO